今日は大阪市内に初めて雪が積もりました。おまけに関西電力の事故とやらで朝の九時から約30分間会社すべての送電がストップし大変なことになりました。中でも、社内ネットワークが完全に麻痺し、それを復旧させるのに苦労し、冷や汗をかきました。
もう、社内でパソコン無しの運営は考えられませんね。便利になったことを痛感した反面、その脆さも痛感しました。近況でした。
さて、今回は私が大物号数に拘る理由を記したいと思います。
私が憧れの和歌山キャスターズに入会した当初、周囲には週刊誌や情報誌に定期的に執筆される大先輩がたくさんおられ、私もいつかは大先輩のようになりたいと夢をもったものでした。
大先輩方は執筆されるだけではなく、例会になると当たり前のように魚を釣って来られます。しかし、自分にはまったくと言って良いほど何も釣れません。
この差は一体何なんだ?と思ったのが、大物号数に拘る切っ掛けになったと思います。
釣った、釣っていないを判断する指標が大物号数だと言うこともこの時初めて知りました。
この当時の私の大物号数には、たったの2号・・・。この当時、和歌山協会には100号を越えられた大先輩が3名ほどいらっしゃったと思います。
この時、初めて俺もやってやろうじゃないのと自己啓発することができたのです。これから年間100日釣行が始まりました。自分には先輩方のようなテクニックはない。あるのは根性だけ。下手な鉄砲数打ちゃ当たる・・・。とにかく釣行回数だけは先輩方に負けないよう努力しました。
ある程度の年月が経過し、ようやく、大物号数100号を突破しました。この時、何魚種かの協会記録も樹立でき、和歌山協会の中にも私の名前を知らない方は殆どいなくなったように思います。
しかし、私自身の当時の目標を達成したことも手伝って当時の私は有頂天で天狗になっていたことだと思います。年始に頂ける協会誌にも私の名前が上位に掲載されるようになってきました。
有頂天も頂点に達していたその時、自分の成績(実績)を全国的に見るとどうなの?と言う素朴な疑問が浮かんで参りました。
そのデーターを見て唖然・・・。自分の記録を全国的視野で見たとき、如何に自分が小さなお山の大将であったかに気が付いたのでした。
良く考えてみれば、大物号数にの終点は300号なのに100号の達成で浮かれていたとは本当に情けない話です。大物300号の満貫を100点満点に例えると大物号数100号はたったの33点。学生時代のテストに例えると完全な欠点です。
せめて100点満点で80点はとりたい・・・。そう思った時、漠然と240号はいかないと納得できないと思ったのです。どうせだったらきりの良い数字で250号を目指してみよう。
これが大物号数250号に取り組み始めた経緯です。
まだ250号の達成が出来ていないので大きなことは言えませんが、私の性格からすると250号の達成と同時に、次は100点満点で90点、すなわち大物270号を目指す目標を掲げるのだと思います。
現状には決して満足せず、目標を達成したと同時に新たな目標に再度チャレンジしていくと言う繰り返しが自分の生き方なのだと思います。
現在、大物230号。とりあえずの目標まではあと少しです。